「一度なくなった景色は戻ってこない」公共施設と人の記憶をどう残すのか

十三の第七藝術劇場で、今ちょうど公開されている映画があります。『沼影市民プール』。閉鎖された市民プールと、そこに刻まれた人たちの記憶を見つめた作品です。
公共施設がなくなること、まちが姿を変えていくこと。これは淀川区で暮らすわたしたちにとっても、他人事ではありません。
だから、この作品をヨドガワウォッチでもどうしても取り上げたいと思いました。
十三でミニシアター発の作品を観る面白さについては、以前『マイ・リトル・クイーンズ』十三上映レビューでも書きましたが、今回は少し踏み込んで、『沼影市民プール』を撮った太田信吾監督ご本人に、作品に込めた思いや、公共施設と地域の記憶について直接お話を伺いました。

「ただの記録」ではなく、場所を失うプロセスを映画にしたかった
――この映画は、単に「市民プールが廃止される」という出来事を記録するだけではなく、「否認・怒り・取引・抑うつ・受容」という「死の受容の5段階」を重ねて描いています。なぜ、場所がなくなることを、人が喪失を受け入れていく過程と重ねようと思ったのでしょうか。

太田監督:
「ただの記録っていうことではなくて、都市開発において見過ごされている、建物がなくなるときにすっ飛ばされがちな追悼のプロセスというか、死の受容のプロセス。それ自体をやっぱり映画にしたいなというところはありましたね。
最初にこれを映画にしようと思ったのは、住民の方々が『プールがなくなります』と言われたときに、そのことを受け入れられない、いわば『否認』をされている。その感情を説明会で目の当たりにしたことがきっかけでした。
そのときにこの構成を思いついて、この本のことを思い出して、それをベースにできるんじゃないかと思いました。
じゃあ、どういった方が次の『怒り』や『取引』といった感情を持つのか。どうやって次の段階に進んでいくんだろう。そういう疑問が最初に湧いたので、それを構成にしていけばいいかなというところで作っていきました」
――人には大切な人との別れを受け止める時間があります。一方で、施設や場所には、そういう時間がほとんどない。その感覚は、以前からお持ちだったのでしょうか。
太田監督:
「気づくと、もう愛着のある場所がなくなっていたりするんですよね。僕は映画の仕事をしているので、久しぶりに地元に帰ったら、『あれ、あそこどこ行ったんだ』って。もう更地になっていたりとか。そういうとき、やっぱり虚しさを覚えるわけですよね。
『受容』というのは5段階目にありますけど、場所の場合は、もう受容せざるを得ないという状況、いきなり5段階目を突きつけられるという状況が大半だと思うんです。
怒っている余裕というか、チャンスすら与えられない。
でも人が死を受け入れるときには、もがいたり、『何とかできないか』と考えたりする。『取引』の時間があれば、もしかしたら何とかなるケースもあると思うんですよね。
都市開発において、いろんな葛藤のプロセスすら与えられないというのは、僕は結構問題なんじゃないかな。その過程こそを映画にしようというところから、コンセプトがありました」
撮影前には「本当になくならないかもしれない」と思っていた
――撮影を始めたときと、撮影を終えた今とでは、このプールや公共施設に対する監督自身の見方に変化はありましたか。
太田監督:
「プールについては、1万人、2万人の方が署名運動をされていて、僕もどこかで、プールが本当になくならないんじゃないかという期待を持って撮影に挑んでいたんです。
運動している方も『私たちは受容しない』『プールを絶対守るんだ』とおっしゃっていました。
でも結局、どれだけ声が集まっても、決まったものは覆せないんだと。
そうなると、議会というものが意思決定機関として、公共施設を考える上では大事なんだと改めて思いました。
議会に上がる前の政策段階から、市民として関わる権利があると思うんです。
今、何が動いているのかという情報収集も必要だと思いますし、そのためのネットワークも必要だと思います。
そして情報が入ってきたときに、ただ『反対だ』と叫んでいても何も変わらない。どうやったらうまくできるのか、やり方を考えていかないといけない。
まちづくりというのは、市民の皆さんがやっぱり作っていくものだと思います」
「話が地域に届いたときには、もう大きな流れができている」——これは、わたし自身も地域活動のなかで何度も感じてきた感覚です。だからこそ、この話は今回どうしても聞いてみたかったことのひとつでした。
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なぜゲイ男性たちの姿を映画に入れたのか
――映画の中には、ゲイ男性たちの姿を描いた場面があります。最初に観たとき、わたしは正直、「なぜこの場面がここにあるんだろう」と十分に理解できませんでした。
その後、資料を読んで、このプールが一部のゲイ男性にとっても大切な場所だったことを知りました。フィクション的な表現を交えてまで、この人たちを作品の中に残そうと思ったのはなぜでしょうか。
太田監督:
「ハッテン場として、かなり知られた場所でもあって、それは僕がこのプールに興味を持った一つの要素でもあるんです。
そういう場所って、社会の中ではどうしても、こっそり行くような場所というイメージがあると思うんです。
でも今の性の多様性をめぐる社会の状況を考えると、そんなにコソコソやるようなものでもないんじゃないかと。
日本では、カミングアウトすることで傷ついてしまう人もいる。僕の友人にもそういう人がいて、それはやっぱり、まだ理解が進んでいないということだと思うんです。
この映画では子どもたちや高齢の方、いろんな人たちを描いています。その中の一つとして、ゲイの話も当たり前のように入れたいと思いました」
――一方で、その部分にはフィクション的な演出もあります。それは当事者の方を守る意味もあったのでしょうか。
太田監督:
「映画の公開を通じて、ゲイのことを受け入れられない方がまだ一定数いらっしゃるという現実も目の当たりにしました。
そういうことも想像していたので、フィクションにすることで、当事者の方々を少しは守れるんじゃないかなというところはありました。
『これはフィクションです』『僕の脚本や演出です』と言えれば、本人たちに誹謗中傷がいくのを少しは防げるかなと。
もちろん演出は入っていますが、かなりの部分は本人たち自身のありのままの姿をもとにしています」
「公共施設だからこそ、いろんな人を受け入れられる」
――この場面を観て、もう一つ気になったことがあります。ゲイ男性たちの交流の場は、別に公共施設でなくても生まれます。それでも「公共施設」だったことには、何か意味があると感じましたか。

太田監督:
「そこはユニークだなと思います。
公共の施設だからこそ、いろんな人を受け入れられているということはあると思うんです。
民間の場所だったら、『うちのスタンスに合わない人はお断り』とすることもできるじゃないですか。
でも公共施設というのは、いろんな多様性という意味では、可能性もあるのかなと思っています。
もちろん、皆さん苦労しながらあの場所を守っていらっしゃる。盗撮する人が出てきたり、暴力的な人がいたり、ルールを外れるようなことをする人も中にはいる。
でも、それだからといって場所をなくすのではなくて、その場所を守る人がいれば、うまく回っていく。
みんなが入れる場所というのを優先した方がいいんじゃないかなという気はします」
続けて監督は、違う人たちが同じ場所に居合わせることについても、こんな話をしてくれました。
太田監督:
「僕自身も、男性として生まれて、異性を好きになるということを当たり前のように考えてきたけれど、ゲイの人たちを見ていたら、『僕もああいう生き方もありなのかな』と、違う人生を想像することもできる。
そういった違う人生をちょっと想像できるというのも、そういう場所の良さだと思います」
📣【イベント告知】『沼影市民プール』公開・ヒット記念オンラインイベント
太田信吾監督に加え、映画出演者のToshi Douglasさん・阪崎義勝さん、「ふらっとゲイバーマップ」代表のきょーすけさんが出演。作中で交わされた「沼プーなくなったらどこで出会うの?」という問いをきっかけに、プール・ゲイバー・インターネットと、時代とともに変わる「出会いの場所」「居場所」について語り合います。日時:2026年9月24日(木)19:00〜(オンライン配信、配信チケット1,500円)
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映画館を出たあと、何が残ってほしいですか
最後に、太田監督に聞きました。
――この映画を観た人に「こう考えてほしい」という一つの答えがあるわけではないと思います。それでも、映画館を出るときに何か一つ残るとしたら、どんなものが残ってほしいですか。
太田監督:
「この映画は、情報を入れ込んで、足して足して作るというよりは、もっと削ぎ落として、映像で何か感情というか、記憶を揺さぶれないか、呼び起こせないかというところで、色使いだったり、映像の撮り方だったりを決めている部分が結構あります。
映像を通じて、皆さんの記憶が喚起されて、昔なくなった場所だったり、景色だったりが蘇れば、僕としてはありがたいなと思います。
一度なくなった景色って、やっぱり戻ってこないですし、それを目にしていない人たちに、その記憶を共有するというのは非常に難しいことだと思うんです。
でも、どこかにアーカイブが残っていたり、昔こういうことがあったという記録があったり、それを伝えていくことはできる。
もし映画を観てくれた人が何かを思い出せば、それをまた人に伝えることだってできる。それが一歩かなと思います」
監督の話は、そこからまちづくりへと広がっていきました。
「自分ができることを、ぜひ考えてほしいと思います。
そこに思いがあるのであれば、主体的に動けば変わるかもしれない。
一人ではなく、皆さんと連携して、何かやってもらえたらと思います」
地元では約50人のボランティアによる映画サポーターが作品を広め、映画の公開を通じて、これからのまちについて議論する場も生まれているそうです。
その話の中で、太田監督は「映像に残すこと」にも触れました。
「映像に残すということも、一つの可能性として、なくなっていく場所を残すという意味では結構大事だったなと思います。
壊すのであれば、少なくとも映像に残すとか、そういうことも行政の方が考えてもいいのかなと思います」

太田監督の話を聞いて、十三で考えたこと
今回の取材で、何度も頭に浮かんだのは十三の町でした。
わたし自身、地域活動に関わる中で、地域に話が届いたときには、すでに大きな方向が決まっていると感じた経験があります。
だからこそ、監督の「決まる前の段階から関わる」という話は、沼影市民プールだけのことには聞こえませんでした。
十三も変わり続けています。学校も、公共施設も、駅前の景色も、ずっと同じではありません。
実際、淀川図書館は移転してジオタワー大阪十三2階の新しい姿になりましたし、もっと大きな話でいえば淀川3区の区割りをめぐる統合案のように、街の形そのものが今まさに議論されている最中でもあります。
すべてを残すことはできないでしょう。
それでも、自分の町で何が起きているのかを知ることはできる。記録することも、人に伝えることもできます。
そして、大切にしたいものがあるのなら、まだ動かせる段階で声を上げることもできるのかもしれません。
太田監督は、映画を観た人の中で、昔なくなった場所や景色が蘇ればうれしいと話していました。
『沼影市民プール』を観たあと、どんな場所を思い出すのか。それは、人によって違うはずです。
わたしの場合は、監督の話を聞きながら、何度も十三の町が頭に浮かびました。
淀川区でも、こうして姿を変えていく場所や施設のことは、ヨドガワウォッチでこれからも追いかけていきたいと思います。












